第2回目-3

前回に引き続いて、薬物依存症のご家族Hさんご夫妻のインタビューの3回目になります。Hさんご夫妻へのインタビューは今回で最終回となります。

Hさん夫妻の物語と愛知家族会(全国薬物依存症者家族連合会愛知家族会)
~令和6年6月 西山クリニック精神保健福祉士による夫妻へのインタビュー 最終回~

<茨城ダルクへの入寮>

それから茨城ダルクに入寮することになった。厳しいところだが次男は逃げ出さなかった。ダルクのプログラムの太鼓を気に入ったというのもあったのかもしれない。太鼓を通じて自信をつけたのではないかと思う。処方薬に関しても茨城県立病院の医師に相談しながら少しずつ減らしていった。減薬も仲間の励ましで少しずつやっていった。相談できる仲間を得たことが大きかったんじゃないかと思う。

入寮してからは電話もなく、9か月過ごした頃に、はじめて次男から電話があった。「2002年2月~ダルクの見習いスタッフになる」という連絡をもらった。AさんとBさんは次男がダルクに入寮当初、岩井さんから「茨城ダルクに家族会があるから家族の自助グループに一緒に毎月参加するように」言われた。当時の茨城家族会は100人くらいの家族が集まっていた。月に一回全国から家族が集まり、二人も泊まりで参加していた。

家族会で勉強していくうちに、病気について、イネイブラーについてなどクリニックのレクチャーで学んだことのある内容だったと気付くようになっていった。Aさんはある時からビギナーの家族の対応をするようにもなった。そして、1年くらい通ったあと、「これなら自分でもできる」と思えるようになっていった。その頃、びわこ家族会結成の準備をしており、Aさんはその家族会の準備から、びわこ家族会を手伝うようになった。併せて茨城ダルク家族会にも参加していた。

<やっかれん(NPO法人全国薬物依存症者家族会連合会)の結成>

2000年頃厚生労働省で出された「薬物乱用5か年戦略」の中で、「家族支援」という文言があり、その機運から2004年4月には「やっかれん」(NPO法人全国薬物依存症者家族会連合会)が結成された。当時の会長が2~3か月で辞退し、岩井喜代仁さん(茨城ダルク代表)の推薦もあり、Aさんが会長を務めるようになった(以後、12年会長を務めた)。Aさんはいろいろな思いのある家族をまとめるのに苦労をしたと話していた。

2004年6月には岩井喜代仁さんや他の家族の協力も得て、「愛知家族会」を結成した。結成した際には、西山先生がクリニックに通院していた家族に「愛知家族会」を勧めてくれた。西山クリニックのスタッフも会に参加した。

愛知家族会は毎月岩井喜代仁さんに来てもらい勉強会とミーティングを行ってきた。2006年3月には「素敵な仲間との出会い(一回遊びに来てちょう!!)」をテーマに第一回愛知家族会フォーラムを開催。その後第16回までフォーラムを開催している。

「やっかれん」ができ、20年経過した。「やっかれん」として、厚生労働省・国会議員に働きかけ薬物依存症の相談窓口の拡充を訴えてきた。各県精神保健福祉センターの相談、スマーププログラム、拠点病院ができ相談窓口が増えた。

愛知家族会は2024年3月末でNPO法人の法人格を解散した。相談窓口が増えたことが要因か、参加者が集まらなくなっている。

しかし、愛知家族会としての集まりは今もなお続け、AさんとBさんの回復のための作業は今も続いており、愛知家族会、自助グループの参加も続けている。