前回に引き続いて、清水さんの体験談後編になります。
≪第3回目ー後編 清水さん(アルコール依存症本人 断酒会会員)≫
今の私
私は現在八十四歳、この歳まで生きたから、身についたこともたくさんあったということです。
たくさんの人との出会いから多くの飲まない生き方を学びました。
お蔭さんです。有難いことです。やって来られたことに有難く思います。長く生かされたことで、味わい深い経験もさせてもらえました。心の底から感謝出来ます。
今日までやって来られたということは、未だに信じられませんでした。
本当にいろいろな方に守られながら、困難の道を乗り越えた今があります。感謝の言葉しかありません。
とにかく、気付くのが遅すぎた感はありますが、自分の中では「気が付けば良し」とするかなんて勝手に思ったりもしています。歳を重ね、いろんなことを感じ、実感が感じられます。思い当たることがたくさんあります。いつか私自身が此の世から去らなければなりません。
運命的な出会い
ここで一つ、素晴らしいことが起こりました。それは、令和三年三月のことでした。名古屋市内のフルーツパークがテレビで放映されていました。必ず行ってみようと密かに計画を立てていましたが、なかなか行けずにいました。ある時、テレビの再放送があり、ようやく行くことを決定しました。翌朝、家内に「行ってきます」と家を出ました。
運命的な再会とは、私が三十歳ころにお別れした方です。私の祖父は長男で本来なら跡取り息子という立場でした。ところが祖父は建築の仕事柄、結構ほうぼうの地域で仕事をすることがありました。祖父が年頃となり、ある土地である女性と出会い、子どもができてしまいました。知らぬ間にできた子、当然、祖父の親は烈火のごとく怒り、勘当されたと聞いていました(私の父親である乳飲み子までも)。その後、勘当された祖父は一念発起して努力をして、私の父をはじめ、父の弟や妹を祖母と懸命に育てられたと聞きました。その祖父のすぐ下の弟に当たる方の娘に当たる方との再会でした。私、半世紀前の思い出のある人とお逢いするわけですから奇跡とか偶然とかで片づけられない思いをしました。 |
地下鉄と市バスを乗り継いでフルーツパークに到着、意外と自分の思っていた感じと違っていましたので、早々に帰路につき、バス停近くまで来た折に、突然、老齢の女性から道を尋ねられました。
丁寧に、今下ってきた道を伝えました。その方は、コロナの影響でマスクをされていて、お礼を申されながらマスクを外され頭を下げながら「有難うございました」と、瞬間、見覚えある懐かしい顔。思わず訪ねました。「すみません。お名前伺ってよろしいですか」と、そして「清水さんではありませんか」と「ハイ、そうです」。間違いはありませんでした。信じられません。まだ、いまだに信じられません。嬉しい再会でした。アルコールをやめ長く生きてこんな奇跡的な出会いをもらいました。
最後に
話は変わりますが、この原稿を書いている途中(令和6年春)に、私の長男が突然天国に旅立ちました。親の私たちに何も告げず、何も言えず、去っていきました。
暫らく、この作業も止めます。
あれから、一ヶ月以上過ぎました。少し、息子のことも思い出しながら、いや、無理かも、でも、続けよう。の葛藤中です。こんな自分の人生に嫌気がしてきました。が、息子の死からいろいろ考えさせられたことの多さに、問題を知り、対処しなれば何も前に進まず、でした。何も解決策もみえず、混乱状態です。
結果、思い悩んでも、答えは見えず、苦しくい悲しい時が過ぎて難しい時からの脱出は、「内に留まるな、外に出よう」でした。断酒会の教えがそこにはありました。例会に出るということです。仲間に会うことです。「歩け、歩け」と行動するということ以外に何も始まらないと、「自分には断酒会がある。仲間がいる。苦しかったら仲間のところへ行けばいい。断酒会の例会に出ればいい。」
この方法が、唯一の自分自身を救う方法だと、実感しました。即実行できました。老いた夫婦が残り少ない時間を息子なくした哀しみを肌で感じながら、生き抜こうと誓いました。
息子の死によって、少し成長できたかなと今は自負しています。
有難うございました。この機会を与えて頂き感謝申し上げます。