かつての自分へ / まだ依存症にはなっていない誰かへ


 毎週金曜日の11時〜は、アルコール依存症男性グループを開催しています。これまでも色々なテー
マで多くの方にお話をしていただきましたが、先日「かつての自分へ/まだ依存症にはなっていない誰か
へ向けてのメッセージ」
というテーマでお話頂いたことについて、私自身に多くの発見がありましたので、
いくつかご紹介させていただきます。(*掲載のご許可を頂いた皆様、ありがとうございます。)


①「酒が強いから依存症にはならない」という誤解


 酒に飲まれるという表現があります。一般的には、「酒にひどく酔って、自制心を失う。泥酔すること」などの意味で使われますが、何人かの方は飲み始めの頃、そういった経験をしたことはほとんど無かったとのことでした。いわゆる、「酒に強い」ということだと思います。そしてそうであるがゆえに、「まさか酒に強い自分が依存症になるとは思わなかった」とのことです。たしかに、若い頃からほぼ酔いつぶれることがなかった方々からすれば、いきなり「依存症です」と言われても、それは「何で?」と青天の霹靂であったことでしょう。すぐさまは「認めがたい」という方がおられるのも納得のいくところです。

 しかし実はアルコール依存症は、酒に強い人ほどなりやすいと言われています。それは、「それだけたくさん飲めてしまう」ということだからなのですが、この事実はもしかしたらあまり知られていないのでないかと思われました。

 「酒に飲まれる」「酒に溺れる」という表現のネガティブな印象も相まって巷では「酒に強いほうがよい」と思われがちです。しかし、こと依存症という文脈においては、一つのリスクファクターになるものかもしれません。こういった点から、この話はできるだけ多くの方に知ってもらいたいとおっしゃられた方もおみえになりました。

②アルコールを一生涯で飲める量は決まっているというのを教えてほしかった


 やはりお酒の強かった方々は、30~40代までは、どれだけ飲んでも全く問題がなかったとのことでした。しかし50代に入った頃から、飲んで記憶を無くしたり、倒れてしまったり、悪酔いをすることが増えていったとのことで、否が応でも年齢の影響を考えざるを得なかったとのお話でした。「一生で飲める量があるから少しずつ飲みましょう!というのを若いうちに教えてほしかった」とのことで、これをメッセージとして残したいと、お話しいただきました。
 

現状ではまだ、「個人がどれだけの量を一生涯で飲めるのか?」をはっきりさせる手段は確立されていません。しかし個人的には、スマートウォッチのバイタル測定機能などを使って、「今日はどれくらい飲んだのか?」をアラームなどで教えてくれるアプリが開発されると良いなと思いました。例えば、ご家族の方のバイタルとも連動し、その日のイライラ具合や不安感具合なども合わせて可視化されることで、もしかしたら飲み過ぎないようにブレーキを掛けられることも可能なのではないか…。そんなことを考えつきました。
 

 またこの点については、合わせて「普段から家族との関係を考えてみることも大事だと思う」とのメッセージも頂きました。依存症にまでなってしまうと、「大事なものは何か?」を一時的に忘れてしまうこともあるからとのことです。

③人にゆだねてみるのが良いこともある

 当初は「自分は依存症なんだ」というのはなかなかに認めがたいことであったとのことでした。しかし、とりあえずここのミーティングや自助グループに顔を出していく中で、次第に「困難に出会った時は、人の力を借りてしまえばよい」と思えるようになったとのお話でした。このお話を伺った時、私には「同じような経験をされた方に出会ったことで、心の底から『しんどかったな』と思えるようになられたのではないか」と推察されました。

 依存症は、「生き方」と密接なつながりのある病です。何らかの困難に相対した時、それを一人で考え、抱えていくことはとても苦しいことのように思われます。だからこそ「ゆだねてみる」が、良い時もあるのでしょう。三人寄れば文殊の知恵。誰かが自分の力となり、自分が誰かの力となる。そんな相互扶助のような考え方が、大きな力を発揮するのだと、改めて教えて頂いたエピソードでした。ありがとうございました。


 「もしかしてちょっと依存症ぎみかも…」 そんなご疑問・不安を抱かれた方、またそのご家族の方、どうぞ遠慮なくご相談ください。 社会的にも、まだまだ厳しい時代は続いています。何とか皆で協力し、この世界を渡っていきましょう。

心理士 松井真佐尚